日本では新聞が「必要」92%?

下記の記事をネット版の読売で読んで、あまりにもの感覚の乖離にちょっと驚いたので、コメントです。下記に全文を引用します。

新聞が「必要」92%、「信頼」は87%…読売世論調査

読売新聞社が実施した全国世論調査(面接方式)で、情報や知識を得るために「新聞が必要」と考える人が「どちらかといえば」を合わせて92%に上った。

新聞報道に対する信頼度については、「大いに」「だいたい」を合わせた「信頼できる」は87%だった。
インターネットなど新たな情報収集手段が広がる中でも、国民の大半が信頼できるメディアとして新聞の役割を極めて重視していた。
調査は、第60回新聞週間(15日~21日)を前に、今月6、7日に実施した。
新聞報道が国民の人権やプライバシーを侵さないように気を配っているかどうかでも、「気を配っている」が73%に上り、高く評価された。テレビについては、「気を配っている」は46%だった。
新聞を活用した授業の教育的効果を聞いたところ、63%が「世の中の出来事に関心を持つようになる」と回答した。次いで「活字に親しむようになる」(51%)、「ニュースを読んだり見たりする習慣ができる」(45%)の順だった。

アメリカでは、元々、国土が広いこともあり、全国紙はUSA Todayしかなく、地域情報等は、各地の新聞にしか掲載されません。普通の人は、その地域毎の主要な新聞を読むのが普通です(例えばベイエリアだと、サンノゼマーキュリー、サンフランシスコクロニクル、コントラコスタタイムズ、等と細かく分かれています)。日本のように全国紙がいくつもあって、それらが似たような記事を掲載しているような状況ではありません。しかも、最近ではネットの発展により、紙媒体で新聞を購読する人はすごい勢いで減少傾向にあり、既存の新聞各社は存亡の危機に立たされています。元々、アメリカの新聞の購読料は、日本と比べるとタダのような値段で、例えば私は、まだPress Democratの紙版も土日だけ購読してはいますが、12週間でたったの約$24という価格(月約$10)です。これを毎日にしても少し高くなるだけでほとんど変わりません。最近来たSF Chronicleの新規購読スペシャルでは、26週間でたったの$20で、しかもスターバックスの$10券も付いてくるという始末です。この値段では、明らかに配送費用さえまかなえるかどうかの値段です。なぜこんな値段でビジネスが成り立っていたのかと言えば、その答えは広告収入です。私がアメリカに来たときに驚いたのは新聞の厚みでした。で、その厚みの大半は広告でした。つまり新聞社は広告収入が主要財源で、購読者が多ければ多いほど広告主から高い広告料を徴収できるので、ただで配ってでも購読者数を増やしたかったわけです。ところがそのビジネスモデルがそっくりそのままインターネットの新企業に取って代られたため、新聞社は広告収入が激減したのに、購読料を上げることもできず存亡の危機に立たされてしまったというわけです。
日本では、おそらく広告収入の占める割合はずっと低く、購読料が収入の柱になっているのがまだ新聞各社が危機に立たされていない状況を作り出しているのだと思いますが、なぜ人々が高い購読料を払って新聞をとるのかは、文化というか、習慣というかそういうものなのでしょうか。それともこの記事は、新聞社が実施したアンケートだからこういう結果で、実態は既に違う状態なのでしょうか。この辺の感覚は日本に住んでいないとわかりませんが、なんかアメリカで起きていることに対してあまりにも大きいギャップに驚いてしまいました。もし、これが本当に実態に比較的近いのであれば、日本の情報流通形態はかなり遅れているのではないでしょうか。新聞社が存続するべきかどうかは別として、未だに主要な情報源が紙媒体というのでは、ちょっと不安ですよね。あ、でも上の記事には、紙媒体で必要とは書いてませんね。でも、対比としてインターネットを挙げているから「新聞」という言葉は、紙媒体を指しているように受け取れますが、どうなんでょう。

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