朝青龍の件で一言

なんか朝青龍がうつ病にまでなっているようなので、さすがに私も一言申し上げたいと思います。

ある程度の公的地位にある人が、それなりの責任を期待されるのは当然だと思いますので、彼が今回取った行動が本当に仮病によるサボりだとすれば、ある程度の処罰を受けて当然であるというのは理解できます。ただ、今回の騒動で私は以下の点を指摘したいと思います。アメリカから見える限られた情報のみで書きますので、日本に居る人とは違う感覚かも知れないことを始めにお断りしておきます。

まず、第1点は、マスコミで報道されているように、本当に仮病によるサボりなのかどうかということをきちんと確認がされていないという点です。ひじに問題を抱えているのは本当のようですし、どこまでが仮病で、どこまでが本当の病気かということがまったく議論されていないように感じます。またもやマスコミ主導の本人の言い分を聞かない一方的な民事裁判と化しているように思えます。

第2点は、処罰の内容です。2場所出場停止は、百歩譲って相撲協会の方針として仕方ないとしても、2ヶ月もの間、謹慎処分でほとんど相撲部屋に軟禁状態に処するというのは行き過ぎどころか基本的人権の侵害にあたるのではないでしょうか。こんな処分が課されるなんてほとんど犯罪者扱いと同等で、あくまでも相撲は国技と言ってもプロスポーツであり職業であるわけですから、そこに期待される責任をいくら果たさなかったからと言って、軟禁状態に置かれるような仕打ちを受けるプロスポーツがどこの世界にあるのでしょうか。これは完全に行き過ぎです。

そもそも、巡業というファンサービス自体を相撲選手に押し付けている変な伝統自体がおかしいのではないかと思いたくなります。これってよく日本社会にある、暗黙の強制ではないでしょうか?例えば、日本の企業に入社すると新人が中心となって変な芸みたいなことをやらせるような文化、それを嫌だと拒否すれば、変人扱いし、出世コースから外される異様なルール。程度の差こそあれ、少なくとも明文化された契約に基づく国際社会ではありえない個人の自由への侵害と言わざるを得ません。それをうまく回避するには仮病でも使うしかないと考えた朝青龍は浅はかだったと思いますが、そういう方向へ追い込む日本社会の閉鎖性があることを指摘しておきたいと思います。朝青龍は、自分で選んで、そういう変な世界を選び、そこで頂点に立った以上、そういう目に遭うのも自業自得といえばそれまでですが、こうやって閉鎖的社会に潜む、人権すら無視するかのような異様なルールがいまだに正当化されてしまう恐ろしさに寒気が走ります。こういうことをきっかに社会全体で、個人の自由と責任の明確な認識をする議論が活発化することを願ってやみません。

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