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Finally filed 2009 tax return today

今年も結局延長した挙句、締切り(10/15)ぎりぎりの提出になってしまいましたが、今日(10/11, Columbus Day)とにかく終わってよかったです。 SF Giantsも目出度くナリーグの優勝決定戦に進出を決めました。まあとくにどうということはないのですが、やはり地元のチームが勝ち進むのは何となく気分がいいですし、プレーオフの試合はやはりおもしろいですね。今日も僅差のシーソーゲームを制しての勝利で、ボンズがいた頃のチームとは全然違って本当にチームとして機能しているのが素晴らしいです。次はフィリーズとの対戦なので、苦しそうですがどういう戦いぶりを見せてくれるのか楽しみです。

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SF Giants won the NL west division

メジャーリーグナショナルリーグ西地区の1位・2位(ジャイアンツとパドレス)の直接対決がこの3日間サンフランシスコであったのですが、2連敗でまさかの大逆転で優勝を逃すのか?なんて展開になっていたので、今日はしっかり勝って地元の盛り上がりぶりは最高潮という感じでした(と言ってもテレビで見ていただけですが)。 こんな感じでこの辺の不景気も飛んでくれると嬉しいのですが。 こんな程度の書き込みしかできなくなってくるとTwitterでもいいのかなぁなんて思い出すこの頃でもあります。

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元NEC社長・経団連副会長の関本忠弘氏が死去

大学卒業後、私がNECに入社した当時の社長、関本忠弘氏がお亡くなりになったそうです。私は入社式でのスピーチを聞いた程度で、直接の面識はありませんが、当時は大変な勢いのあった方で、おそらくサラリーマン社長としては異例のことであったと記憶しております。私が学部生の時は、ご子息が同級生(こちらも直接の面識はありませんが、ミーハー的な学生の間ではそれなりに有名であったようです)であったこともあり、余計に近しく感じることもあったのですが、最近では、あまりいい話題では報道されていなかったようで、人間の人生とはかくも不思議なものであると思います。 その関本さんが大きい顔をできていた大きな要因の一つが、当時パソコンブームを牽引し、一世を風靡していたPC-9801という製品だったのですが、その製品開発を担当していたのが第二OA装置事業部といういかにも地味な名前の事業部でした。私はPC-9801よりももっと地味なオフコンのS3100のOS開発部隊に新人として配属になりまして、その当時の事業部長が戸坂馨氏だったのですが、戸坂さんも今年の2月に亡くなられたことを古川亨さんのブログのエントリでつい最近知ったばかりでした。戸坂さんとも直接の面識はほとんどありませんでしたが、私が入社後、間もなくして専務に昇格され、新入社員の間ですら、将来NECの最年少社長になるのではという言われもない噂がでる程の勢いのあった方でした。私は、5年弱でNECを辞めてしまい、その後NECを振り返ることはあまりなく、きっと戸坂さんは大変偉くなっているんだろと思い込んでいたので、その後の経緯を知ってみると、なんだか割と寂しい道(PC-9801時代からDOS/V、Windows時代への転換後の後始末みたいな仕事)を行かれたようであり、大変意外であり、これもまた人間の人生はちょっとした見た目では測れないものだなぁと思ったのです。 こうして書いていると、なんだかこういうのって大リーグへの夢を抱きながらも現役ピーク時には挑戦できなかった選手と重なるのかなあとも思えます。今は沢山の選手が大リーグへ挑戦していますが、それも良くも悪くも先人のつけた道があってこそなのですが、PC界でのそういう役回り(まあ踏み台みたいなもの)になった人達の代表が、上記のお二人という感じがするのです。今、日本のITブームに乗っかっている人達やシリコンバレーとかで活躍している若者達が、こういう人達のことはほとんど知らないのはいいとして(昔は昔で今とは関係ないですし、知る必要もないので彼らのせいではありません)、こういう人達の功績が金銭的にも名誉的にもあまり報われるようになっていない大きな要因である日本の様々な慣習や仕組みに複雑な想いが湧くのは私だけでしょうか。まあ、そういう仕組みで働くことを受容した(あるいは受容せざるを得なかった)報いでもあるし、このお二人はそういうフレームワークを若者に提供していた側でもあるので、自業自得と言えなくもありませんし、ひとつにはそういうフレームワークから抜けれなかったがために寂しい終わりとなったという見方もできるのではないかと思うのです。 個人的にも、そういうフレームワークを常識とし、海の向こう側シリコンバレーでは、全く異なる形態で働く同年代の技術者達がいることをまるで知らずに、そういう時代の変遷の中を通ってきた者の一人であるため、シリコンバレーに来て、こちらの仕組みを理解するにつれ、もっと若い時にこういう風に働けたらどれだけ違っていただろうという想いを持たないことの方が難しかったことを思い出します。このお二人の人生を見てみれば(別に裁こうとしているわけではありませんので誤解なきよう。このお二人のように輝かしく見えても結局は寂しく終わっていることに比べれば自分の場合は、もっと小さなレベルのキャリアであったのだからその結果は推して知るべしという程度の意味です)、自分がそれらの人の真似をしていれば似たような人生を歩んでいただろうと思うので、日本で10年もキャリアを積んだのにそれを思い切って捨てて、海を渡れたことは、それらのフレームワークからの脱却であったので、そこに意義があったと言えると思うのです。こちらで特に成功しているわけでもなく、むしろ大変なことの連続ではありますが、どうせ大したものでもなかったキャリアにこだわらず、日本にいれば絶対に学べなかったであろうことが早く多く学べた自分はずっと幸せであるという想いを強くしました。シリコンバレーもいつかは過去のフレームワークになっていくのでしょうし、いつもパラダイムシフトを自身に課して行くことが人間の成長に必要不可欠であるのですが、まさにそのような本質を知っている点がアメリカの強さであると思います。 当時大変な勢いのあった日本国内PCブーム初期時代の象徴を演じられた役回りであった方達で、私自身が少しなりとも関連のあったお二人が奇しくも同じ年にこの世を去り、まさに時代の遷移を感じながら、今の時代における自分の役回りは何であるかに想いを馳せつつ、お二人のご冥福を祈り、このエントリを終わりにしたいと思います。

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My thoughts on Hideki Matsui of Yankees

ボストンレッドソックスがまたもや大逆転劇で、ワールドシリーズに進出しましたね。これで、ワールドシリーズが一段とおもしろくなりそうです。 ところで、今年もア・リーグ地区シリーズで敗退してしまったヤンキースのトーリ監督の退任に関する、読売の記事中に気になる松井のコメントがあったので、そのことについて少し。読売の記事へのリンクは、http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20071020ie02.htmですがいつまであるかわからないので、松井のコメント部分のみ引用しておきます。 ヤンキース・松井秀「野球観が同じ。自分がそれまで持っていた考え方や取り組み方を、そのまま何も変える必要はなかった。僕から一言伝えるとしたら、やはり『ありがとうございました』しかない」 この部分を読んで、なんとなく松井がメジャーリーグで今ひとつ大ブレークできない理由の一つが見えたように思ったのです。私が思うに彼は「野球観」を変えないといけない時に来ていると思っていたので、手首の骨折はその一つの機会だったと思うのですが(彼が大事にしてきた連続試合出場がいやおうなく途切れたわけですし)、今年の8月にそのきっかけを掴みかけた感じがしていたのが、なんかまた元に戻ってしまった感じがするんですよね。松井は今でも十分立派な成績を挙げているんですが、本来のホームラン打者としてのイメージとは違うのと、プレーオフ等の大試合でのチャンスを活かせないところなど、メジャーリーグでの大打者と呼べるレベルにはもう一歩というところにいる感じがしていました。日本で成功し、アメリカでもある程度の実績を挙げているだけに、「野球観」を変えるのは余計に難しいことだと思うのですが、それができないと次のレベルに行けないように思うのです。 こういうのって、多少の差はあれ、誰にでも訪れることだと思うのです。それで、そういうときには何かそれまでの考え方を変えないといけない出来事が起きるのですが、それを転機と捉えるか、単にツキが離れたみたいな捉え方をするかで、一層の飛躍を果たせるか、悪い方向に行ってしまうかが決まってしまうように思うわけです。自分でもそういう時が来たときに、転機と捉えて飛躍できる自分になれるように、常にそういう転機が来たときに準備のできた状態になれることを意識して行きたいと思います。

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