Tag Archives: キャリア

元NEC社長・経団連副会長の関本忠弘氏が死去

大学卒業後、私がNECに入社した当時の社長、関本忠弘氏がお亡くなりになったそうです。私は入社式でのスピーチを聞いた程度で、直接の面識はありませんが、当時は大変な勢いのあった方で、おそらくサラリーマン社長としては異例のことであったと記憶しております。私が学部生の時は、ご子息が同級生(こちらも直接の面識はありませんが、ミーハー的な学生の間ではそれなりに有名であったようです)であったこともあり、余計に近しく感じることもあったのですが、最近では、あまりいい話題では報道されていなかったようで、人間の人生とはかくも不思議なものであると思います。 その関本さんが大きい顔をできていた大きな要因の一つが、当時パソコンブームを牽引し、一世を風靡していたPC-9801という製品だったのですが、その製品開発を担当していたのが第二OA装置事業部といういかにも地味な名前の事業部でした。私はPC-9801よりももっと地味なオフコンのS3100のOS開発部隊に新人として配属になりまして、その当時の事業部長が戸坂馨氏だったのですが、戸坂さんも今年の2月に亡くなられたことを古川亨さんのブログのエントリでつい最近知ったばかりでした。戸坂さんとも直接の面識はほとんどありませんでしたが、私が入社後、間もなくして専務に昇格され、新入社員の間ですら、将来NECの最年少社長になるのではという言われもない噂がでる程の勢いのあった方でした。私は、5年弱でNECを辞めてしまい、その後NECを振り返ることはあまりなく、きっと戸坂さんは大変偉くなっているんだろと思い込んでいたので、その後の経緯を知ってみると、なんだか割と寂しい道(PC-9801時代からDOS/V、Windows時代への転換後の後始末みたいな仕事)を行かれたようであり、大変意外であり、これもまた人間の人生はちょっとした見た目では測れないものだなぁと思ったのです。 こうして書いていると、なんだかこういうのって大リーグへの夢を抱きながらも現役ピーク時には挑戦できなかった選手と重なるのかなあとも思えます。今は沢山の選手が大リーグへ挑戦していますが、それも良くも悪くも先人のつけた道があってこそなのですが、PC界でのそういう役回り(まあ踏み台みたいなもの)になった人達の代表が、上記のお二人という感じがするのです。今、日本のITブームに乗っかっている人達やシリコンバレーとかで活躍している若者達が、こういう人達のことはほとんど知らないのはいいとして(昔は昔で今とは関係ないですし、知る必要もないので彼らのせいではありません)、こういう人達の功績が金銭的にも名誉的にもあまり報われるようになっていない大きな要因である日本の様々な慣習や仕組みに複雑な想いが湧くのは私だけでしょうか。まあ、そういう仕組みで働くことを受容した(あるいは受容せざるを得なかった)報いでもあるし、このお二人はそういうフレームワークを若者に提供していた側でもあるので、自業自得と言えなくもありませんし、ひとつにはそういうフレームワークから抜けれなかったがために寂しい終わりとなったという見方もできるのではないかと思うのです。 個人的にも、そういうフレームワークを常識とし、海の向こう側シリコンバレーでは、全く異なる形態で働く同年代の技術者達がいることをまるで知らずに、そういう時代の変遷の中を通ってきた者の一人であるため、シリコンバレーに来て、こちらの仕組みを理解するにつれ、もっと若い時にこういう風に働けたらどれだけ違っていただろうという想いを持たないことの方が難しかったことを思い出します。このお二人の人生を見てみれば(別に裁こうとしているわけではありませんので誤解なきよう。このお二人のように輝かしく見えても結局は寂しく終わっていることに比べれば自分の場合は、もっと小さなレベルのキャリアであったのだからその結果は推して知るべしという程度の意味です)、自分がそれらの人の真似をしていれば似たような人生を歩んでいただろうと思うので、日本で10年もキャリアを積んだのにそれを思い切って捨てて、海を渡れたことは、それらのフレームワークからの脱却であったので、そこに意義があったと言えると思うのです。こちらで特に成功しているわけでもなく、むしろ大変なことの連続ではありますが、どうせ大したものでもなかったキャリアにこだわらず、日本にいれば絶対に学べなかったであろうことが早く多く学べた自分はずっと幸せであるという想いを強くしました。シリコンバレーもいつかは過去のフレームワークになっていくのでしょうし、いつもパラダイムシフトを自身に課して行くことが人間の成長に必要不可欠であるのですが、まさにそのような本質を知っている点がアメリカの強さであると思います。 当時大変な勢いのあった日本国内PCブーム初期時代の象徴を演じられた役回りであった方達で、私自身が少しなりとも関連のあったお二人が奇しくも同じ年にこの世を去り、まさに時代の遷移を感じながら、今の時代における自分の役回りは何であるかに想いを馳せつつ、お二人のご冥福を祈り、このエントリを終わりにしたいと思います。

Posted in エッセイ, コンピュータ | Tagged , , , , , , , , | Leave a comment

In Silicon Valley, global outsourcing going full circle

下記の記事をPress Democratで読みました(元はWall Street Journal)。 In Silicon Valley, global outsourcing going full circle この記事によれば、インドのハイテク産業で働く技術者の給料がすごい勢いで上昇した結果、シリコンバレーへの回帰現象が一部で見られ始めたようです。こういう現象って以前からいつかは起きるだろうと思っていたので、「やっぱり」という感じなのですが、アメリカからインドの人たちを管理するのはメリットよりもデメリットの方が大きいと思うんですよね。時差があまりいい感じでオーバーラップしていないので、インド側かアメリカ側が必ず変な時間に働かなくてはならなくなるし、英語ができるとは言っても、やはりアクセントやらがだいぶ違うので普通のアメリカ人からすれば聞き取りにくかったりして、必ずしもスムーズなコミュニケーションを保障はしてくれないわけです。そうは言っても平均給料が以前はシリコンバレーの4分の1だったので、それらの不便さをカバーしてあまりあるほどの経済メリットがすべての欠点に目をつぶらせていたわけですが、最近はシリコンバレーの4分の3程度にまで接近してしまったために欠点の方が目立ち始めたというわけです。 上記記事によれば、ジュニアレベルのエンジニアはバンガロールでも$50,000~$60,000払わないと雇えないそうで、シリコンバレーで$80,000で雇えるのになんでわざわざインドで雇うのかと、こうなってきているようです。で、今はルーマニアとかポーランドへ優秀で低賃金の技術者の需要がシフトしてきているようだと書いてありますね。 インドでも一番安い技術者は年収$5,000からだとありますので、全体が上昇したわけではなく、「ちゃんとした経験のある」 技術者の賃金インフレだということらしいです。まあ、こういうのを見ていると結局需要のあるスキルや経験があれば市場価格に自然と近づいていくという当然の帰結が起きているわけで、少なくとも技術者の求人に関しては、本当にグローバルに自由経済市場が広がれば、世界中のどこにいようと少し時間が経てば適正価格に落ち着いてしまうということが実証されつつあるわけで、単純な需要と供給に基づく市場経済論理が世界規模でもある程度働いているということが言えそうです。 ということは、結局需要があって、かつ需要よりも供給の少ない経験やスキルがある技術者になっていれば、世界のどこに居ても食っていくのに心配なくなるということですね。ここで「需要よりも供給の少ない」 というところがポイントで、難しいことをする必要は必ずしもないということです。要は「他人がやらなさそうなこと」を選ぶのが肝心で、日本的な「みんながそうするから、私もそうしておけば安全だろう」的な考えは、確かに安全ではあるかも知れませんが、結果的に安売りにつながるということになっていくのではと思います。まあ、「他人がやらなさそうなこと」を選ぶのって、結構勇気がいりますけどね。需要の波が来たときに初めてペイオフするので、それまでは「なんでこんなこと選んじゃったんだろう」とか思うこともあるわけですから、やはり好きで、長続きできそうなことでないとうまく行かないことが多いですけどね。この辺は私自身は、特にアメリカに来てからは、一応少しは心がけてきたつもりではあります。とは言え、実行していくのは本当に難しいのでありますが、今後もよく肝に銘じておきたいことの一つです。

Posted in エッセイ, ビジネス, 日記 | Tagged , , , , , , , , | Leave a comment